次の日、朝練が終わって一刻も早くを話さなければいけないと思っていた。 しかし、クラスの女子の口から思いもよらない言葉が出たのを俺は聞き逃さなかった。 「ねー見てこれ!今日発売の雑誌!」 「え?なになに…『CANDY』の正体は女子高生!?…うそぉ!?見せて!」 その言葉で雑誌の周りにはたくさんの人だかりが出来た。 そのほとんどは「私『CANDY』ファンなんだ!」という女子。そして何人かの男子。 「CANDY」が好きだという水谷の姿もあった。 いつもだったら俺はこんな人だかりに興味も示さないが、今回ばかりはその人だかりに加わっていた。 「えっと…『CANDYの正体は埼玉県の女子高生で…』」 「ちょっと待って!この写真て…さん!?」 「」と聞いた瞬間、びくっとした。 みんなに、こんな大勢に、雑誌なんかに載せられて、あいつの正体が、知られてしまった。 そう言えば、は?とふとあいつの席を見ると、鞄はあるのに本人の姿はなかった。 「さんは?」 「あれ?学校には来てたのに。」 学校には、来ていた。ここにはいない。ということは…あそこに行くしか有り得ない。 「あ、阿部!?」 水谷にそう呼ばれたのなんて気にしないで、俺は力の限り走った。 何人かの生徒にぶつかりそうになりながら、教師に「廊下は走るな!」と怒られながら。 心の中でひたすら、早く着け、早く着けと叫んでいた。目指す場所は、そう、 と出会ったあの場所だ。 着いたころにはもうかなり息が切れていて、汗がどっと出てきた。 はいつも通りベンチに座っていて、こんな俺を見てへらっと笑った。 「どうしたの?阿部。息なんか切らしちゃってさ。」 いつもの、いつもと変わらないだった。 自分の正体がばれてしまったことを、知らないのか? じゃあなんでLHR前のこんなギリギリの時間にここにいるんだ? お前は…「CANDY」なんだな………? 「」 「ん?」 「お前、『CANDY』なんだよな…?」 へらっと笑っていたの表情が強張って今までに見たことのない表情になった。 すぐに目を伏せて下を向いたが、ふう、と大きな息をついてから俺の方を見た。 「…うん。阿部に贈った曲ね、公開しないつもりだったんだ。 けど、お偉いさんがひどく気に入っちゃって。だから着うたの配信が決定したんだけど。」 淡々と、ただ説明するだけのように、既に用意されている台本を読むかのように、は続けた。 「ばれなければ今まで通りだし、ばれても阿部になら良いと思ってた。」 ひどく寂しそうな目をしながら、静かには笑っていた。 だって、阿部なら理解してくれるでしょ、とは加えた。 そこまで俺を信頼してくれていたんだ。その信頼は嬉しいような、俺には重いような気もした。 俺なんかをそんなに信頼してくれていたんだ、と。 「でも、もう駄目。大勢の人に知られてしまうから。」 「お前、雑誌のこと知って…」 「うん。だからもうみんなには顔合わせられない。」 なんでだよ、と怒鳴りたい気分だった。 なんでそんなことでお前がクラスの奴らに顔合わせられなくなんだよ。 堂々としてりゃいいじゃねえか。だって、お前の歌は、歌声は、聞く奴を圧倒する力があるんだから。 俺が保証すっから。だから、胸張ってりゃいいじゃねぇか。 「今日はとりあえずサボるから、阿部教室戻って…」 「行くぞ、一緒に。」 俺はの手を取ろうとした。…だが、その手はいとも簡単に振り払われた。 俺をきっと睨むその目は真っ赤になっていて、確かに涙が浮かんでいた。 「絶対に周りにはばれたくなかったのに!!」 そう叫んでは泣き崩れた。その目から涙がは止め処なく溢れていた。 俺は茫然としてただ何をしたらいいかわからなくて、だから、 気付いたらのことを抱きしめていた。 「阿、部…っ、あのね、聞いてくれる…?」 泣きじゃくりながら必死で何かを言おうとする。 俺はその頭を撫でながら、お前の話だったら何でも聞くよ、と柔らかに答えた。 は中学の頃、一度テレビに出たことがあるらしい。 こいつの実力を考えれば一度くらいあってもおかしくないと思う。 しかし、がテレビに出た次の日、学校では中学のクラスメイト達からの冷たい視線が待っていた。 「ちょっと歌が上手いくらいでテレビ出て、調子乗ってんじゃねぇよ!」 それからクラス全員による総無視が始まった。 仲の良かった友達もクラスのリーダー格には逆らえず、を離れていった。 それからしばらくは歌を歌えなくなってしまった。当然だろう。 は何も悪くないのに、クラスメイトからそんな態度をとられて、相当傷ついたに違いない。 でも、歌をやめることはなく、またはひっそりと歌を始めた。 そんな中、あるレコード会社で、デモテープを送るとアドバイスをくれるという企画があった。 すぐにはデモテープを送り、アドバイスを待っていた。 だが、の元にはアドバイスではなく、デビューの話が持ちかけられた。 相当悩んだに違いない。デビューすれば、メディアの露出も多くなる。またあのような事が起こらないか心配だったろう。 それでも憧れだったCDデビュー。はある条件をレコード会社提示した。 自分の正体を一切ばらさないという条件を。顔も、名前も、年齢も、全て。 会社もその条件を呑み、「CANDY」というシンガーソングライターが誕生した。 しかし、その正体がばれてしまった今、これ以上活動は出来ない――――― 「もう中学の時みたいな、あんな思いはしたくない…」 は切実にそう訴えた。だが、俺の考えはのとは正反対の物だった。 「じゃあ、みんなに認めてもらえたら、まだ続けられんだな?」 中学の時の事は、辛い思いをしただろうって分かる。でも、そんなことで辞めちゃもったいなさすぎる。 お前の才能はこんなところで潰されてちゃいけないんだ。 「行こう、教室に。」 「ちょっと、さっきの話聞いて…」 「もし、」 力を込めて俺は言った。 「もしお前を傷つけるような奴がいたら、そん時は俺が許さねぇから。」 その言葉にはしぶしぶとだが俺に付いて教室へと向かった。 コイツの手を引き、教室へ向かう間、一切言葉は交わさなかったし、表情も見えなかった。 は良い気分じゃなかっただろう。多分、いや絶対そうだ。 でも、は「今」「ここで」一歩踏み出さなきゃいけないと思うんだ。 教室に着くと案の定(と俺)を沢山のクラスメイトが囲んだ。 隣のを見ると若干涙目になって、「阿部…」と小さく言っていた。 大丈夫だ、大丈夫だから… 「さんって『CANDY』だったの?」 そう言葉を発したのは人だかりの中の1人の女子。 それに端を発したかのように次々とクラスメイトたちがに言葉をかけた。 「雑誌見て本当びっくりしちゃったよ!」 「あたし本当に『CANDY』ファンなんだけど!」 「CD持ってるよ!」 「マジあの歌声大好き!まさかこんなに身近にいるなんて思ってもみなかった!」 でもその言葉の中に悪い言葉は1つも含まれていなかった。 中学時代とは違う周囲の反応に驚きながらも嬉しかったのだろう、その目には涙が溜まっていた。 さっきとは違った、正真正銘の、嬉し涙だ。 「阿部、阿部…本当、ありがとう…」 泣きじゃくりながらも一言、感謝の気持ちを伝えてくれた。 その一言で十分だったんだ。 他に何も言わなくても、の気持ちは分かった。 あの時、桐青戦の前、俺の背中を押してくれたのはお前だった。 だから今度は俺がお前の背中を押してやりたかったんだ。 お前はこれからもっと多くの人に認められていくんだろう。 辛いことだってあるかも知れない。前みたいに、歌えなくなることもあるかも知れない。 でも、そん時はまたお前の背中を押してやりたいと思う。 なにかあったら、いつでも俺のところに来て欲しいんだ。 “俺はここで応援してるから” ← → 2009.10.31