次にあの場所に行けたのは抽選会が終わってから、夏大が始まる前だった。

初戦の相手は桐青に決まった。去年埼玉代表として甲子園の土を踏んだ高校だ。

俺は抽選会でチームメイトたちに弱気な事は言わなかった。
その言葉は嘘ではないし、桐青が相手だからって負けるつもりはない。

しかし、心が落ち着いていないというのも確かだった。
ざわざわとすると言うか、言葉で言い表せない感情が胸を渦巻いている。


だから、どうしてもあの場所に行きたかったんだ。
あそこに行けば、心が落ち着くような気がしたから。





行ってみるといつも通りがベンチに座っていて、一種の安堵感を覚えた。
もしかしたら、が居てのこの場所なのかも知れない。…いや「もしかしたら」じゃなくて絶対にそうだ。



「久しぶり、阿部。」

同じ教室にはいるんだけどねー、と笑う。その笑顔を見るのも久しぶりだ。

「久しぶり。」

普通に返せるように努めた。声で今の感情がばれないように。
俺はベンチにどかっと座った。なぜだか体重が一気にかかってきた気がした。



「ちょっと俺の話聞いて欲しいんだけどさ。」

そう切り出すとは真剣な顔つきで俺と目線を合わせてくれた。
ちゃんと話聞いてくれるんだな。あぁ、そうだはこういう奴だ。


「夏大の初戦の相手、桐青に決まったんだよ。」
「桐青って、去年甲子園行った?」


ああ、と軽く頷くとは反応に困っているようだった。僅かにだがの目が泳いだのを俺は見逃さなかった。

返事を待たずに俺は続けた。


「去年の優勝校だからって負けるつもりはねぇし負けたくねぇよ。
 でも、なんつうか…ずっと落ち着かなくて…。緊張してんのかな、俺。」


自分から出た「緊張」という言葉があまりにも当てはまりすぎて可笑しかった。
そっか、俺、緊張してんだ。初戦から去年の優勝校と戦うということに。
絶対に1年の夏を初戦で終わらせたくない。だが、1年ばかりの公立と甲子園出場校にどれだけの差があるか計れない。
その計りしれない差を恐れてしまっているのだろう。それが緊張となって俺を落ち着かなくさせているんだ。


「私さ、」

おもむろにが口を開いた。

「野球って正直よくわかんない。
 でもね、ここに来る途中で見る阿部は、いつも本っ当に一生懸命だったよ。
 だから…胸張って戦ってきなよ。」


は優しい言葉をかけてくれた。なのに、素直に受け取れない自分に腹が立った。
軽々しくそんな事を言う奴じゃないことくらい分かってるのに…分かってるくせに。

俺は俯き、下唇を噛んだ。膝の上に置いた拳を、白くなるくらい力を入れて握った。


情けない。苛立つ。不安だ。腹が立つ。
そんな感情が全て混ざりに混ざって俺の中から出ていかない。どうしようもない、この気持ち。
の前でこんな自分を見せたくないと思いながらも、一層拳を握る力を強めた。




「…ねぇ、試合の前日、ここに来れる?」

下を向いていた俺を覗き込むようにしてはそう尋ねた。

急な問いに少なからず驚いたが、躊躇せずにああ、と答えた。
試合の前日、は俺に何かしてくれるのだろうか。

少し期待を抱いて、試合の前日、俺はまたここに来ることにした。


 
2009.9.17