それがどのくらい前の出来事だったかは覚えていないけれど、それ以来暫く蔵と話していない。
あの言葉の後、私は「そう、なんだ…」とだけ言って黙り込んでしまった。
親友に恋人が出来るなんて、応援してあげなきゃいけない事くらい分かっている。
でも同時にそれが意味するのはもう今までみたいにはいられないと言う事。


彼女が出来たらいくら親友とはいえ同性と一緒に居られるのは嫌だろうし、
何より私自身が、恋人がいる蔵と一緒にいるのを許さない。



(「永遠」なんてどこにもないって、分かってたのに…)



せめて高校卒業までは一緒にいられると思っていたけど、
いつ何が起こって関係が変わるかなんて分からないものなんだと思った。
何事にも終わりがくると痛いほど分かっていたのは自分だったのに。


きっとまだ、準備が出来ていなかっただけ。しばらくすれば蔵がいなくても平気になるだろう。
自分にそう言い聞かせた。

「彼」がいない生活にももう慣れたように。






「、おるか」


授業と授業の間の10分休みにドアに手をかけて私を呼んだのは謙也だった。

どうしたんだろう。
次の教科の教科書でも忘れたのかな。


そう思ってがたっと席を立ち私を待っている謙也の方に行った途端、くいっ、と私の手を掴み謙也は走り出した。

流石は浪速のスピートスター、一瞬何をされたか分からなかった。
走るスピードに足がもつれるんじゃないかと思ったが、なんとかもちこたえて、気がつけば社会科準備室にいた。
その時次の授業開始のチャイムが鳴り、これはさぼり確定か…とぼそっと呟いた。
先生にする言い訳を考えておかないと。

…それよりも今は謙也の方が問題なんだけど。


「びっくりしたんだけど、謙也?」


少し怒気を含んだ声でそう言えば謙也は顔の前で両手を合わせて謝った。
そんな恰好で「ほんまにスマン!」と謝られたら怒る気も少し失せてしまう。



「なんでここに連れて来たの?」


大事なのは、なぜ謙也が私をこんなところに連れ去ったのかということだった。
社会科準備室は人がおらずさぼるのには絶好と有名な教室だった。
大きな棚に地図や資料集、地球儀が置いてある以外はなにもない。
まさか私とさぼりたいとか言う出すんじゃなかろうな。


理由を尋ねると謙也はものすごく言いだしにくそうな顔をして、
「言わないなら帰る」とドアに手を掛けた瞬間、謙也は今最も聞きたくない名前を出した。



「…白石のことや。」



その言葉に私はドアにかけていた手を外して、謙也の方を向き直った。
逆光のせいでその表情はよく見えなかったが、きっと困った顔をしていたんだろうというのが声から読みとれた。
いかにも「どうしたら良いのか分からない」という声だったから。


一方の私はそれほど動揺していなかったように思う。
もしかしたらどこかで蔵の事について話すだろうと言う事を予測していたのかも知れない。


「最近あいつな、なんかちょっと違うねん。
 周りからはそう思われてないかも知れんけど俺には分かる。」


それは蔵が何事もないように「振る舞っている」ということを意味した。
テニスだけでなく何事も完璧なあいつはそう言う…表情を隠すと言う事も平気でしてしまう。
それが完璧と呼ばれる由縁なんだろう。

前に一度、蔵の体調が悪かったのに教えてくれなかった事があった。
ずっと「平気」と言い続けて倒れる寸前までになってしまったのだ。
その時はものすごく怒ったのを覚えている。親友なんだから言ってよ、と。


今回もそうして何事もなかったのように振る舞っている。
…けれど中学からの付き合いである謙也には見抜かれてしまったのだろう。



「何があったかなんか聞こうとはせん。せやけど、原因がなんはなんとなく分かった。
 せやからお前ら、一回腹割って話して来い。」



「白石なら屋上におるから」とだけ言い残して、
謙也は私の横を通り抜けスピードスターよろしく去って行ってしまった。



全く謙也はお節介なんだから…。


しんと静まり返った社会科準備室で溜息をついた。
彼は全く本当にお人好しである。
蔵の事もあらかじめ屋上に呼び出してあるに違いない。
私が行かないと言ったらどうするつもりだったんだよ、本当に。



そのお人好しさにまた一つ溜息が出て、それから私は屋上へと向かうために踵を返した。




 
2011.10.15