雨が嫌い。
夜に振る土砂降りの雨が一番嫌い。


ぼとり、ぼとり、ぼとりと一粒一粒が暗い闇に大きな音を立てる。
それが更に静寂を引き立てるようで、私の気持ちを不安にさせた。
その雨音しか聞こえず、周りから隔離されてしまったような気持ちになる。

そういえば誰かが言っていた。
「雨の音を聞きながらベッドに入ると安心する」と。
私はそんなの正反対だ。その音を聞くと不安に駆られる。


雨の日は大抵機嫌が悪くなる。機嫌が悪いから早く寝たいと思う。
こういう日に考え事をするとすべてネガティブな方へと持って行かれてしまう。
テレビも電気も何もかも消して、ベッドに潜り込んだ。就寝時間にはまだ早かったけれど。

雨が降っているから早く寝たいのに、雨音のせいで寝られないと言う悪循環。
土砂降りの夜はいつもそう。ひたすら目を閉じて朝が来るの待つしかない。

こんな夜ほど一人暮らしを憎んだ日はない。
あれ程嬉しかった一人暮らし。実際、家事は要領よくこなせているし、問題はない。
一人でいることにも大分慣れた。

でも今日みたいな夜だけは駄目なんだ。誰か傍にいて、と強く強く思ってしまう。
いつもはそれが叶わないまま、眠りに落ちて朝を迎える。






半分ほど眠りかけたところで普段はあまり鳴らないケータイがメールの受信を告げた。
こんな時に誰かと思うとそれは幼馴染の亮で。


そういえば雨の夜が苦手と言う私を唯一理解してくれたのが彼だった。
両親でさえ「怖いものじゃないんだから」と言って笑っていたのに
今までこのことを話した友達は誰も分かってくれなかったのに、彼は怖いものは怖いんだなとそれだけ言って理解してくれた。
しかし記憶が正しければそれはもう大分昔の話で、忘れるには十分の時間が経ったろう。


“今近くにいるんだけど、ちょっと行かせて貰っても良いか?”

メールにはそう短く綴られていた。

大学に入ってお互いの一人暮らしを始め、一度だけお互いの家に行ったことはあったがそれ以来連絡はしていなかった。
元気でやっているのだろうか。彼のことだから心配はないと思うけれど。




ふう、と少し溜息を吐いて携帯をパタン、と閉じた。
暗闇の中、ベッドの上に座りぼんやりとどこでもない場所を見つめた。

最後が疑問文で終わっているメールには返信するのが礼儀だろう。
ただ今はそれがしたくなかった。
雨のせいで…と言うのはあれだが、何をする気にもなれなかったのだ。




仕方ないけれどまた眠りにつく努力をしようと思ったその矢先、また枕元にあるケータイが光った。
今日はよくケータイが鳴るものだ。

メールの差出人は先ほどと同じ人物で。
“やっぱ行かせて貰うわ。急に悪いけど。”とあった。


そのメッセージを読んだと同時にチャイムが鳴った。
横になっていたせいで少し重くなった体を起こし、電気もつけないままでいると
聞きなれた声がドアの向こう側からした。


「俺だ。開けてくれ。」


電気をパチンと付け、鍵を開けてゆっくりとドアを押すと、予告通り亮が現れた。


傘も役に立たないであろう中歩いて来た彼は案の定ずぶ濡れで。
彼の短い髪からは水が滴り落ちていた。
とりあえず中に入ってもらってタオルを一枚渡した。

なぜ来たのか、とか久しぶりに会って話す事もあるかも知れないが、
まずは彼が風邪を引かないようにするのが先決だった。



「シャワー浴びなよ。風邪引くから。こないだ兄貴が置いてった着替え出しとくね」



彼は何か言いたげだったが、とりあえず体を温めることを優先したんだろう。
じゃあお言葉に甘えて、とバスルームへと向かって行った。


すっかり目の覚めてしまった私はその間に私は紅茶でも入れようとやかんを火にかけた。
ティーバックを用意し、自分用のお気に入りの桜模様のマグカップと来客用の水玉模様のカップを棚から出した。

自分がパジャマ姿だったのに気が付いたが、今更そんなの気にする間柄でもないだろう。
普段から整理整頓はしていたし、急に来られても別に平気だった。





シャワーから出てきた彼に紅茶を勧める。
私も小さなソファで彼の横に腰掛け、三角座りになって紅茶をすすった。

静かな部屋で聞こえるのは紅茶をすする音とカップをテーブルに置く音。
それから外から聞こえるぼとりぼとりという雨音だけだった。


「久しぶりだね。だけどどうしたの?急に来ちゃって。」

先ほどから何も言葉を発しない幼馴染に疑問をぶつけてみた。
答えとしては粗方雨が降っていたから雨宿りさせて欲しいとかそういうものだろう。



「いやお前、雨…苦手だったろ。」



その一言で紅茶が変な所に入り、少しむせてしまった。
大丈夫か?と心配されたが、君のせいだよ亮。
だって、そんなの覚えてるなんて思うはずないじゃない。その話ししたの、一体何年前だった?

何か返事しなければいけないと思ったけれど、
“大丈夫”と強がる気力も“大丈夫じゃない”と本音を言う勇気も今の私にはなかったからだんまりを決め込んだ。


しばらく沈黙が続いた、が、何を思ったか亮は私を自分の腕の中へと収めた。
突然の事に何が起こったか一瞬分からなくて戸惑ったけれども、彼の温もりが伝わって来て、気持ちが落ち着いてきた。
雨が降っているのなんて関係ないみたいに。


「ほら、やっぱりまだ雨の夜は駄目なんだろ。パジャマってことはもう寝るとこだったんだな。
 お前雨の日はいつも早く寝てたもんな。」


“未だに雨の夜は駄目”なんて一言も言わなかったのに私の表情からか何なのか彼は読み取ったみたいで。
まるで小さい子をあやすようにその腕の中で頭を撫でてくれた。
聞こえてくるのはもう激しい雨音ではなく、彼の心臓の音。

とくんとくんと一定のリズムで聞こえるそれは雨音とは比べ物にならないくらい心地よかった。


「ねえ。」

「どうした?」

「雨の夜はまた来てくれる?」


そう言って真上を向くとぶつかった視線と視線。
久しぶりに見る幼馴染は成長したようで、それでも変わっていないようで。
優しい笑顔と共にこう答えてくれた。



「当たり前だろ。」




そう聞いて満足した私は再び彼の胸に顔を埋め、心臓の音へと耳を澄ました。
もう嫌いな雨の音は聞こえない。もう不安なんかじゃない。

雨の日だというのにこんなに心地よく眠りにつけるのはもしかしたら初めてかもしれない。

温もりの中で私は眠りに落ちていった。





2011.5.29