偶然にもあの現場を見てしまったのは、卒業式の後の事だった。


卒業していくテニス部の先輩たちに花を渡す事になっていたから、 卒業式が終わってショートホームルームも終わり、部長として代表で花を取りに行ってテニスコートへ向かう途中の事。 少し人目に付きにくい場所に、2人の生徒の姿が見えた。 一人は男子生徒で、卒業生だろう、胸に白い花を付けてる。 もう一人の方はと言うと、同じクラスの――俺としてはクラスメイト以上の感情を持っていたが―― であった。


「先輩、ずっと好きでした。彼女いてはるんも分かってます。でも後悔せんように伝えておきたかったんです。」
「…マネージャーとして、俺らを支えてくれた事ほんまに感謝してる。気持ちには応えられへんけど…ありがとうな。」


第二ボタンじゃなくてごめんな、とその男子生徒は、上から三つ目のボタンを制服から千切ってに渡していた。 それをは大事そうに両手で受け取る。 いえ、ありがとうございます、と彼女が頭を下げると、男子生徒は彼女の頭を軽く撫でてから立ち去ってしまった。


「あ、白石…。」


まずい、と思った時にはもう俺は相手に見つかってしまって、やり場のない気まずさが2人の間に漂う。 何勝手に見てんねんと怒られるかと思ったけど、は意外にも少し悲しそうな顔をして、眉を下げた。 口元は少し笑っていて、苦笑していたと言えば良かっただろうか、そういう表情だった。 三月の風に、ひらりと、彼女の長い制服のスカートがはためいた。


「野球部のな、先輩やってん。もう坊主じゃないから野球部って分からへんかったやろ?」


そう言えばは野球部のマネージャーをやっていた。 野球部も割と遅くまで練習を行っている部活だったから、帰りがテニス部と一緒になる事もよくあった。 うちのマネージャーもそうだがあの男所帯の中で女子数人で良くやってるなぁと思う。


「3月は別れの季節。3月なんて、大っ嫌いや。」


彼女は独り言のようにそう呟くと、じゃあ、と右手を上げて野球部の部室の方へと走り去ってしまった。 きっと俺らのように三年生を送る会がもうすぐ始まるところなのだろう。 自分の失恋の悲しさをどう解消するは人にもよるが、3月というこの月のせいにしてしまう当たりがらしかったと思う。







そんな1年前の出来事を思い出したのも、明日が自分たちの卒業式だからだった。 1年なんて今思ってしまえばあっという間に過ぎて、最高学年だったからかも知れないが、 目先のやらなければいけない事をやっていくうちにいつの間にか卒業の時期を迎えていたのだ。 とは2年の時から引き続き同じクラスで、俺は去年と同じ思いをそのまま抱えたままだった。 もうそろそろ風呂に入っても良い時間帯なのに、あんまり気が乗らなくてベッドへ体を投げる。 ぼんやりと天井を眺めていると、あのの言葉が頭に浮かんだ。


『3月なんて、大っ嫌いや。』


彼女は今でもそういう風に思っているのだろうか。 毎年3月が来る度にそういう思いをしなければいけないのだとしたら、あまりにもそれは酷過ぎる。 俺は個人的な意見だけれど、3月は別れの季節なんかじゃないと思っていた。 逆に新しいことを始めようとする時期で、毎年わくわくする気持ちの方が強かったからだ。


「いっちょやってみるかなー…。」


自分以外は誰も聞いていないのを分かっていながら、部屋で一人ぼそりと呟いてみた。 自分のこのへの思いに区切りを付けて、もしかしたらの悪い思い出も上書きできるかも知れない。 そんな一石二鳥な結果を期待しながら、卒業式の後に告白することを一人決意したのだった。






式は予行練習通り淡々と進んで、合唱の時には何人か泣き出すクラスメイトもいたものの、俺は別の事で頭がいっぱいだったから そんな雰囲気にはなれなかった。 式の後のホームルームで一人ずつ担任へお礼の言葉を述べている時も、クラスメイトそっちのけでのことばかり考えていた。

あ、そんなに泣いてへんやん。そう言えば去年告白して振られた時も泣いとらんかったしな。

ホームルームが終わって皆が各々席を立つ。 今年も野球部はグラウンドで三年生を送る会があるらしい。 と言うことは、は必然的にあそこを通って行くことになるだろう。 去年卒業式の後にばったりと出くわしたあそこを。 俺は少し早く教室を出て、あそこへと先回りをすることにした。







「あ、白石…。」
「1年前と同じ、やな。」


と言っても今回は偶然ではなく俺自身がこの状況を作り出したのだけど。 この場所は校舎裏から野球グラウンドへと抜ける道の途中で、普段はあまり人が通らない。 沈黙だけが二人の間に降り注いでいた。

俺のその言葉には少し眉をしかめてこう言った。


「何なん…1年前の事思い出させたいん?」


“1年前”という言葉がにとってあまり愉快ではなかったようだ。 それも無理もない。 けれど俺が今ここにいるのはそんな事をしに来たからでは全くない。 わざわざ人を不愉快にさせる為だけにこんな場所へと足を運ぶなんて事はしないし、 そもそも人を不愉快になんてさせる趣味はないし、それがだったら尚更の事である。


「ちゃうねん…ごめんな。でも、1年前に『3月は別れの季節』って言ってたやろ。でも俺は3月は始まりの季節やと思うねん。」


俺が何を話しているのか分からないと言った様子で、彼女の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいるようにすら見えた。 この続きを言えばさらに彼女を混乱させることになるだろう。 でも俺の中では筋の通ってる話だし、やっと決意して言おうと思った気持ちなのだ。


「せやから…俺、の事好きやねん。良かったら、付き合って欲しい。」


ざり、と彼女が少し後ろずさりした音が聞こえた。 俺は彼女の中の疑問をまたも増やしてしまったようで、うまく状況が飲み込めていないようだった。 自分の中では分かってんのに相手には説明不足過ぎて、おかしくてなんだか笑いそうになってしまった。


「なんでそれが私が言った言葉と関係あるん…?」
「いやさ、3月に俺と付き合い始めたら3月はもうの中で別れの季節にはならへんやん?」


潔く告白した後にいろいろと御託を並べるのも恥ずかしいし格好悪いとは思うが、 相手に納得してもらわない事には事が運ばない。 自分かっこわる、と思いつつも相手の質問にちゃんと答える他ないのだ。


「そんな理由で告白なんて、あほみた…」
「そんな理由で、だけちゃう。2年の時からずっと好きやったんや。それにな、その事が無くても、俺は告白してたと思う。卒業したらなくなる、そんな簡単な気持ちとちゃうねん。」


俺は相手の目をしっかりと見据えた。
自分の真剣な思いが伝わるようにと。
どうか伝わって欲しいと、願う様に。


「白石、あほやろ…。去年私が先輩に告白したの見てて、それでも好きやなんて。」


は自分の手のひらを額に当てて、はあと軽くため息をついた。 俺のアホさ加減につい出てしまったため息なのかもかも知れない。 かっこ良く告白するはずやったのに、ダサいのはもう自分でも分かりきっている。 でももうそんなものは次の一言でどうでも良くなってしまった。


「でもうちもそんなあほな白石の事、好きかも知れん。」
「ほ、ほんまか!」


今の流れからは予想外過ぎる肯定の言葉に、思わず無駄に声が大きくなる。 あ、無駄はあかんかったな無駄は。 とにかく、好意的な返事を貰えたのは確かなのだ。 もう絶対に駄目だろうと思っていたので、その返事に心臓が早鐘を打つ。


「白石がそこまでうちの事考えてくれてるなんて知らんかったけど…嬉しかった。」


言いながら彼女の頬は桜色に染まる。 その姿が本当に可愛らしくて今すぐにでも抱きしめたくなってしまった。 手を伸ばしかけた瞬間、それはの「あ!」という言葉によって遮られる事となってしまったけれど。


「三送会、遅れてまう!」
「あ、俺もや!」


慌てて携帯の時計を見ると、もうテニスコートへと行っていないといけない時間だった。 それは多分も野球グラウンドにいないといけない時間だという事だろう。


「し、白石。終わったら校門で待っといてくれる?」
「おう。ほなな。」


くるりとテニスコートの方へ向かおうとした時、後ろからに呼ばれてまたそちらを向きなおす。


「白石!3月なんて…3月なんて、大好きや!」


じゃあまた後で、と手を振りながら笑顔で駆けていく彼女を見て、思わず口元から笑みが零れた。 とりあえずの3月の嫌な思い出を払拭するという目的は果たせたみたいだ。


でも3月が大好きなんじゃなくて俺の事が好きだと言って欲しかったという気持ちもあるけれど、それはこれから言って貰う事にしよう。

三送会が終わったら一緒に何をしよう、と思いながら、三月の風に吹かれつつテニスコートへと向かった。



inspired by 白石蔵ノ介「追憶」

2012.3.23