起きたい時に起きられる、と言うのはなんと幸せなことだろうか。 とは言っても、それを繰り返していたらきっと体に悪いのだろうけれど。

昨日の夜は大学帰りに友達とショッピングに行ってきた。 晩御飯も食べて語りつくしていたら終電ギリギリの時間になってしまって、帰ってすぐに倒れ込むようにベッドに横になった。 一応化粧を落として顔を洗って歯を磨いて着替えて寝たみたいだけれど、 無意識にやっていたみたいで記憶にあまりない。


ふっと目を覚ました時間が、言うなれば朝ご飯と昼ご飯が一緒で良い時間帯。 今日の予定は夕方からの美容院だけだから、流石にそれまでには起きるだろうと思って目覚ましを掛けなかったのだ。 部屋は少し暑くて、じんわりと汗をかいている事を感じた。



チカリと光った携帯を見ると「新着メール一件」の文字。 差出人は「白石蔵ノ介」となっていて、タイトルはいつも通り「無題」だった。


“今日と明日予定ないやんな?晩飯一緒に作って食べへん?”


受信時間は今からおよそ一時間半前。健康オタクの彼はきっと休日でも早起きなのだろう。 返事をしようと返信ボタンを押したところで、急に面倒になって発信を押した。


『もしもし』

「もしもし。メールの件だけど、私今日3時から美容院だから材料適当に買って入っててくれる?」

『ん、わかった。ほんなら後でな。』

「はーい、じゃね」



ピ、と言う音と共に通話が切れて、上体を起こしてすっかり長くなった髪の毛を掻き上げた。 腰までの長さとは言わないけれど肩は優に超えている。 この長い髪とも今日でおさらばだ。

以前、綺麗な長い髪をした女優さんに憧れてから長く髪を伸ばし始めた。 後ろ髪だけじゃなくて前髪も長いからいわゆるワンレングスという髪型だ。 色は染めも何もしていない自然なままの真っ黒な髪。 いろいろとアレンジを楽しめたし、いろんな人から羨ましがられたけど、夏は暑いし何より手入れが大変。 だから思い切って切ってしまおうと今日美容院の予約を入れたのだ。

昨夜タイマーにしておいてちゃんと電源が切れている扇風機の電源を入れ直し、クローゼットを開ける。 家から歩いて10分の美容院に行くのは遠出とは言えないけど、おしゃれな店に行くとなるとそれなりにお洒落にしなきゃと思う。 少し悩んだ挙句、プリントTシャツとマキシ丈のスカートを引っ張り出した。





「今日はどのようになさいますか?」

美容室に入るとお洒落なツインテールのお姉さんがにっこりとした笑顔と共に、お決まりの台詞で尋ねてくれた。 そこで私は鞄に入っていた雑誌の切り抜きを差し出す。 友達の家で見ていた雑誌で目に留まった瞬間いいな、と思った髪型のページを切り抜いて持って来たのだ。 (ちゃんと友達に許可を得てから、ね)

少し短めの前髪に肩くらいまでの長さの襟足、そして何よりも今と違うのはふわりとしたパーマがかけられている事。 思ってみると今まで一度もパーマをかけた事がなく、ずっとストレートのままだった。 たまにストレートパーマを当てているのかと聞かれるくらいのストレート。 特に転機があったとかそういう訳ではないけれど、目が留まったこの髪型に思い切ってしてみようと思った。





「後ろはこのようになっていますが大丈夫でしょうか?」

数時間後、鏡に映っていたのは全く違う私だった。 …と言っても顔が変わった訳ではないのだけれど、髪型でどれだけ印象が変わるかがよく分かった。 鏡に映る私の髪は短く、ふわりとしていてそして柔らかい栗色になっていた。

後ろも申し分なかったので「はい」と答えて腕時計に目をやると、もう時刻は5時を過ぎていた。 蔵はもう家に着いているだろうと思う。 美容院を出て、ちゃんと綺麗にしてもらった髪型を崩さないように気をつけながら家に向かった。





「ただいまー。」 家のドアを開けると、私の靴よりもずっと大きいスニーカーが置いてあった。 それはよく見慣れたもので、蔵がもう来ていると言う事を教えてくれた。

奥のリビング(私の家はワンルームだからリビングになんでもあるけれど)からいつも通り出て来たのは蔵ノ介。 流石にここには来慣れているから、適当にテレビでも見てくつろいでいてくれたみたいだ。



「おー!おかえ…り…」

私を見るなり「お帰り」の挨拶が尻すぼみしていく蔵。 目線も合わせようともせずに「じゃあ、晩御飯の準備しよか。」と言い出した。 そして玄関のすぐ横のキッチンに向かい、冷蔵庫を開けて私の返事も待たずに食材を漁り始めた。


「…蔵、なんか私に隠し事してるでしょ。」


その言葉に彼は肩をビクリと跳ねさせた。 もしこれが漫画の世界だったなら「ギクッ」という効果音が付きそうなくらいに。 「そ、そんなことある訳ないやんか〜…」と明らかに怪しい声で返事したのに、蔵自身は気付いてないようだった。 あはは、と空笑いをして気にしない(振りをしながら)また食材に手を掛ける蔵。



そんな蔵をじーっと(疑いの目で)見ていると、ふいに彼がこちらに近づき、 誰が予測できただろうか、私の事をぎゅーーーーーっと抱きしめた。


私は目がビー玉になりそうなくらい大きく見開いて、そんな私に蔵は耳元でこう囁いた。



「ごめん、のこと真っ直ぐ見られへんかった。…可愛い。その髪型似合ってる。」



蔵はそういうことはさらっと言ってしまうタイプの人間だと思っていたのに、 照れながら言ったのがなんだか可愛くて横で顔を赤くする蔵が容易に想像できた。 それに応えるように私も蔵の背中に手を回す。

私の髪に手をやった蔵ノ介は、「今までさらさらやったのにふわふわやん」などと言いながら その髪の触り心地を楽しんでいるようだった。



「…そう言えば、今日晩御飯何にするの?」

「ちょっと暑いから冷製のトマトパスタにでもしようかと思ってな。どうや?」

「やった、そのチョイス最高!」


少し恥ずかしくなって、蔵ノ介の腕に抱かれたまま、彼が晩御飯に何を選んだのか尋ねてみる。 今日は少し汗ばむような陽気だったから、何かさっぱりしたものが食べたいと思っていたのだ。 そんな私の希望に知らず知らずのうちに応えている彼は、私のテレパシーか何かを受け取れるんじゃないかとすら思う。


よし、じゃあ作ろう!と彼から離れようとすると、彼は私の新しい髪型から髪を一房だけ取り、そこに口づけを落とした。 そんな王子様みたいな、でも自然な動作に驚いて 私の頬はまな板の上に置かれたトマトと同じように真っ赤に熟れているに違いない。



そんな私を見た彼は目を細めて柔らかに笑って、今度は私が蔵の事を真っ直ぐ見られない番だった。




2012.3.7