この場所はつい2年前までは毎日通っていた場所で、それなのに当時の事はぼんやりとしか思い出せない。 「オサムちゃーん!」 スポーツドリンクの入ったビニール袋を提げて、中学時代お世話になった顧問の名前を呼んだ。 オサムちゃんは相変わらず一生懸命に練習する部員達をベンチに座って眺めている。 そんな顧問はこちらに気づくと隣を勧めてくれて、私たちは共に同じベンチに腰掛けた。 私たちが最終学年だった時に1年生だった子たちが、いつの間にか3年生になって仕切る姿に少し嬉しくなった。 早いもので私も気付けばもう高2になる。 夏休みの最初の週は面談週間と言う事で、午前中に面談を終わらせた後に母校に向かった。 今テニス部にいる中で知っているのは3年生の代だけだから、ここに来るのは今年で最後になるかも知れない。 2年前の夏、私がマネージャーを務めていた四天宝寺中テニス部は全国大会ベスト4という結果を残した。 私には密かに全国大会が終わったら伝えようと思っていた気持ちがあった。 一緒に苦楽を共にした、部長の白石に。 でも最後の試合でのシングルス3が終わった後、あの表情を見てから伝えられなくなってしまった。 勝ったのにどこか腑に落ちないような、あの表情。 常に「勝ったモン勝ちや」という言葉を掲げてきた私たちにとって、あの表情は驚きだった。 そこからだ、白石とどう接していったか覚えていないのは。 別に彼が私に何をした訳ではないし、私が彼を嫌いになったのではない。 でもあんな表情を見てどんな言葉を掛けたら良いのか分からず、マネージャー失格だったと思う。 それ以来元々クラスが違うのもあってか、卒業まで言葉を交わさなかった。 今となってはくっきりとは思いだせない、中学時代の1つの思い出。 そう思って胸にしまい込んだ。 去年も差し入れを持って来たのだが、その時は部長だった光がいろいろと話してくれた。 銀さんとユウジが四天宝寺高校に内部入学をして、他の子たちは外部に行ったのはのはなんとなく知っていたけど、白石が外部に行ったのはその時初めて聞いた。 光には「なんで直接聞かへんのっすか」と言われたけれど、もしそれが出来ていたら光に聞いたりはしなくて済んだだろう。 「やんかー!久しぶりー!」 休憩時間になったらしく、知っている声がしたかと思えば金ちゃんが走って私の方に来てくれた。 1年生の頃と比べて身長は伸びたけれど、あの人懐こさはまだ抜けてないみたいだ。 金ちゃんは今年もうちの学校のエース。きっとまた全国に連れて行ってくれるに違いない。 いや、きっと全国優勝へと導いてくれるだろう。 あ、そうや、と何か思い出したように金ちゃんが声を漏らした。 「さっき白石も来とったんやで!なあ、オサムちゃん!」 「ああ、せや。多分今職員室に挨拶行ってるんちゃうか?」 白石、という言葉にドキリと自分の心臓の音が聞こえた気がした。 あまり会いたくない、というか会ってもどうしたら良いのか分からない相手。 もう思い出の中の人にしておきたかった相手。 このまま長居していると顔を合わせてしまうかもしれない。 「そ、そろそろ時間やし帰るわ。」 用事を思い出したかのように装い、そそくさとスクールバックを背負ってベンチを立った。 金ちゃんはとても残念そうな顔をしたが、私もあまりここにいる訳にはいかない。 オサムちゃんに会釈をして、金ちゃんには「またメールするからなぁ」と声を掛けてコートを出た。 お寺の一角のような門構えの、庭球部と書かれてある表札横のドアを開けたところで、 ばったりと――本当にばったりと言う言葉が相応しい――出会ったのは、先ほど話に出ていた他でもない、 四天宝寺中テニス部元部長、白石蔵ノ介だった。 青系のチェックのスラックスに同系色のネクタイ、カッターシャツという制服は四天宝寺中のそれとは違いすぎて、 ひどく白石の印象が変わってしまったかのように思えた。 けれど顔を見れば間違いなく白石だった。 私だって中学を卒業してしばらくして、自分ではちょっと変わったつもりではいるけど久しぶりに会った友人には 「変わってないね」と言われる。 それと同じだろう。 「あれ、…やんな?」 90%は確証があるけど10%は不安、そんな声色で白石は私に尋ねた。 あまり会いたくなかったとは言え、まさか「違います」なんて言えずに私は頷いた。 その返事に嬉しそうにニコリとした笑顔を浮かべた白石。 「久しぶりやな。ちょっと話でもしていかん?」 またしても私はNoなどと言えず、白石のペースに乗せられたのであった。 ガコン、という自販機から缶の落ちる小気味の良い音が響いた。 「ミルクティーで良かったやんな?」 「あ、ありがとう」 白石から冷えたミルクティーの缶を受け取る。 私たちが座ったのは、校内の一角の自販機横に設置してあるベンチだった。 ジリジリとした暑さの中、受け取った缶だけが違う温度を持っている。 手から体温が伝わって缶が温くなる前にプシュ、とプルタブを開けて一口飲むと、 心地良い冷たさが体に広がった。 横に座る白石が手にしているのはペットボトルのスポーツドリンク。 どこに目線をやって良いか分からなくてただひらすらそのペットボトルを眺めていると、 白石がおもむろに口を開いた。 「財前な、うちの高校に来てんで。中高ずっとあいつの先輩っちゅーことになるな。」 「そ、そうなんや…。全然知らんかった。」 メアドは知っているし去年話したとは言え、光を含む元テニス部メンバーと疎遠になっているのは事実だった。 後輩たちには差し入れはしてきた。けれど中学の部活の思い出は私の中で確かに昔のものへと変わっていっている。 今日白石に会っていろいろ思い出す事もあるが、話を始めてしまえばきっと当時のことをどんどん思い出していってしまう。 あの時の苦い気持ちも、きっと思い出してしまうだろう。 間が持たなくなって誤魔化すために缶を口に運んでいるとあっという間にミルクティーはなくなってしまった。 すっかりと周りの温度と同化してしまった缶を捨て、また座ろうとすると驚くべきことに白石にぐ、と腕を掴まれた。 決して痛くはなかったのだけれど、彼の思いかなにかが伝わってくるようで振りほどく事が出来なかった。 ふと白石は我に返ったようで、すまん、と小さく呟くと私の手を離した。 私にとっては別になんて事ない事だったが、白石にとってはひどく悪い事をしてしまったかの様な表情で俯いた。 私が再びベンチに腰掛けると、俯いたまま白石は突然こう始めた。 「もう時効やと思うから言うわ。俺、の事好きやった。」 2年という年月は高校生である私たちにとって大分前の事に思える。 それでも「そうなん、実はうちも白石の事好きやってん。」とは言えない。 それに今更言ったところで別にどうなる訳ではないのだ。 なぜ今このタイミングで白石がそれを伝えたのかも分からないが、きっと「好き『やった』」と言うくらいなのだから、 昔話として、それこそ同窓会の話のネタになるくらいの気持ちで言ったのだろう。 もし、万が一、億が一、白石がまだ私の事を好きだったとする。 それなら過去形でなんて言わないはずだ。言っても苦しいだけに決まってる。 けれど、けれど、けれど。 白石のその言葉で、私の中学生の時の、淡い苦い思い出が込み上げて来そうだった。 引きずったら前に進めない事くらい分かってるのに。 「…今彼氏とかおるん?」 未だに私に目を合わせないまま、白石から出てきたのは意外過ぎる質問だった。 あまりに唐突過ぎて「え、え」と小さく声を漏らす事しか出来なかった私。 白石はそんな私の方を向き直して、ゆっくりと口を開いた。 「すまん…こんな突然な質問。ちゃうねん。俺が言いたいのは…」 のこと、まだ、気になってるんや。 それを聞いた衝撃はさっきの質問とは比べ物にならないくらい、 それこそ頭に石か何かが落ちてきたような衝撃だった。 2年間、一切連絡を取っていなくて、全国大会後はあんなよそよそしい態度を取ってしまって、 それなのに白石はまだ私にそんな事を言う。 「今年財前が入学した時に去年中学に行ったって聞いて、もしかしたら今年もそうするかも知れんって。会えへんかなって少し期待して今日も来てん。」 白石は、彼は、彼の、2年前の、2年前からの思いを、伝えてくれた。 じゃあ私は?私はどうするんや?どうしたいんや? 今までの気持ちをまた掘り返して、白石に伝える? …でも、今その気持ちを思い出すのは今までとは違う。 だって、伝えたら、何か起こるかも知れないのだから。 「し、白石…うちも、白石のこと、好きやった。」 彼の目を見て話す事なんて出来ずに俯いてただ制服のスカートを見つめて声を振り絞った。 その横で白石は静かに聞いていてくれているようで、次の言葉を待ってくれていた。 「でも全国の後いろいろあって話しかけれへんくなって、それが申し訳なくって、そんで、そんで」 詰まりながらだったけれど確かに伝えたい言葉は出てきた。 ただその直後に言葉が出てこなくなってずっと「そんで…」と繰り返していたところに白石は助け船を出してくれた。 「そんで、いろいろ話聞きたいし、良かったらメールとかして、たまに出掛けたりせえへんか?」 まさに言いたかった事は彼が言った事で、それが嬉しくてはっと顔を上げた。 目の前には優しく微笑む白石。その笑顔が眩しくて、「当たり前やん…」と私は小さく呟いた。 2年前の気持ちは少し思い出したけれど、あの苦い思いまでは思い出す必要はないと思う。 だって私と白石の関係はそこで終わりなんかじゃなくて、これからまた続いて行くのだから。 あの夏の日々は思い出せそうで、少し思い出せて、そしてこれからに繋がって行く。 2011.8.25 管理人主催企画サイト 四天宝寺と夏休み!に提出 Title by 無限のム様 |