彼は、チームのためになら自分を犠牲にすることもいとわない、 それこそ部長の鏡のような男だった。 平日の昼間だと言うのに人が多いのはここが大きな駅だというのもあるけれど、 夏休みだと言うのが大きいだろう。 新大阪駅は親子連れ、大きなボストンバッグやスーツケースを持った人でいっぱいだった。 勿論、私のように私服で必要なものだけ鞄に入れた人も大勢いた。 新幹線の改札前に立っていると構内の他のどの場所よりも混み合っている事を感じた。 東京発新大阪行きののぞみは、彼らを乗せてあと10分程で到着するはずだ。 新幹線が到着したようで、ホームから改札へと人が流れ込んできた。 にも関わらず彼らがすぐに分かったのは制服姿に大きなテニスバッグという出で立ちだったからだろう。 最初に私に気付いてくれたのは小春で、あら、「!来てくれたん?」と笑顔で手を振ってくれた。 最後に改札を出たのは蔵で、元々新大阪駅で解散だったから他の部員は各々在来線へと流れ込んで行く。 私と蔵は目線も合わせずに、でも足並みを揃えて乗り換えのホームへと向かった。 電車を降りてもまだお互いは無口なままだった。 日はまだ高くて、通りにはほとんど人がいない。きっとこんな暑い時間には誰も外に出たがらないからだろう。 「蔵、お疲れ様」 私が今まで口を開かなかったのは、きっと人が多いところでは話したくないだろうなと思ったから。 だから人があまりいないここで、やっと一言を発する事が出来た。 私がそう言っても彼は何も言わずに、そしてお互い歩みを止めない。 「…すまん、俺、全国優勝するって約束したのに。」 シリアスな話をしているのに私たちの足取りは至って軽やかで、会話の内容さえ聞かなければ暢気に散歩しているカップルにしか見えない。 全国優勝は、彼が東京に行く前に私に誓った事。 でもきっと彼が今悔しがっているとしたらそれは 「自分」が勝てなかったことよりも「チーム」が勝てなかった事、 そして「私」との約束が守れなかったことに関してに違いない。 彼は部長になってから、すべてをチームのために捧げた。 正直、彼には言えないが、どういう形であれ彼らの夏が早く終わって欲しいと思っていた。 なぜなら彼は「部長過ぎた」故に自らの事を後回しにする事が多くなっていたから。 元々そういう性格の人間だったとは思うのだけれど、部長になってそれが顕著になっていった。 いつだったか、彼は言った。 「俺のテニスはチームに貢献するためのテニスなんや」、と。 その時は言えなかったけれど、心の底では何か違和感を感じていた。 後から考えて分かったのだが、それは「じゃあ蔵はテニスを楽しめてないん?」という事だった。 「…もう引退やからさ、チームのためにテニスせんでええんやで。 そうや、今度テニス教えてや。蔵が楽しんでテニスしてるとこ見たいねん。」 チームのために基本に忠実なテニスをすることを苦に感じた事はないように思う。 ただ、それは別にテニスを「楽しんでいた」と言う事とはイコールではない。 以前試合を見に行った時、彼が勝利した後の表情を見たけれど、それは喜びと言うよりも安堵と表現されるに近かった。 「…」 ぽつりと名前を呼ばれたかと思うと隣を歩く足跡が止んだ。 後ろを振り返ろうとすると彼が後ろから被さるようにして両手で私の肩を抱いた。 必然的に彼の顔が私のそれに近づき、右耳に彼の髪が当たったのを感じだ。 「ほんまに、すまん…」 彼のかすれた声が聞こえた。 何がすまん、なのかは分からないけれど、もし彼が私が意味した事を分かってくれればそれで十分だ。 (完璧を目指したばかりに心配かけてすまん) そういう彼の心の声が、私を抱きしめる手から肌を介して伝わり、脳に響いた気がした。 一人の人間が完璧になる必要などなく、そしてそれは不可能なのだから。 その意味を込めて彼の柔らかくて少し長い髪の毛を、くしゃりと撫でてあげた。 2011.7.5 |