さんさんと降り注ぐ太陽に目を覚ました。



寝ぼけ眼で時計を見ればもう時刻は10時前を差している。…完全に寝過ぎた。 今日は土曜日だから仕事の心配はないけれど、土曜日は土曜日でやることがある。 掃除、洗濯、買い物…普段仕事のせいで出来ていない家事をまとめてやらなければ。 そのために休日でも早起きを心がけているのだが、どうも今日は起きられなかった。 もうすぐ重要な会議とプレゼンを控えているからか、大分疲れているみたいだ。


横を見ればいつも一緒に寝ている旦那――と呼ぶのもまだ気恥かしいんだけれど、その旦那はいなくて、ダブルベッドの右側はがらんとしていた。 私が寝ている間にどこかに出かけてしまったのかも知れない。 彼は彼で家に籠るのがあまり好きなタイプではないし、今日はすごく天気が良いから。



とりあえず乾いた喉を潤すためにキッチンへ向かおうとした。 寝室の扉を開ければすぐそこだ。




ドアを開けた私の鼻孔をくすぐったのは予想外にも甘いにおい。 コンロの前にはエプロン姿の彼が(エプロン一つでも様になっている)フライ返しを片手にホットケーキを焼いていた。



「おはようさん。いや、『おそよう』か?」



まだ寝起きで髪もボサボサ、パジャマ姿の私にそう微笑んだのは私の旦那、蔵ノ介だ。 普段は私が朝ごはんを作っているのに、今日は遅くまで寝てしまってなんだかすごく申し訳なくなった。 その事を伝えると彼は「今日くらいは俺に朝飯作らせてや」と器用にホットケーキを返した。



とりあえず顔を洗って完全に目を覚ます事にした。 少し夏の香りがしてきた今日この頃、冷たい水が肌に心地いい。 いつも通り念入りに化粧水を付けて、キッチンに戻ると2人分のホットケーキと紅茶が用意されていた。


私としては先に着替えたかったのだけれど、私を待っていた蔵ノ介に肩を掴まれ、 「ええから座りや」と椅子に座らせられたのでなすがままになってしまった。



彼も私の前に座り、「いただきます」と小さく手を合わせてから2人でのブランチ。 正直、向かい合わせに座るのは、結婚してしばらく経った今でも慣れない。 真正面に座る彼のどこを見て食事をして良いのか分からないから。 自分の旦那の事をこんなに褒めちぎるのなんだと思うけど、彼はものすごく綺麗な顔立ちをしている。


意志の強そうなはっきりとした目に乗っかる長いまつ毛。 凛とした眉にすらっとした鼻、形の整った唇。 日本人的ではない色素の薄いさらりとした髪の毛。 そのどれを取っても完璧であり、それ故学生時代は「聖書(バイブル)」と呼ばれていたらしい。 いかに彼が完璧かという意味を込めて。



付き合いだした頃はなんでこんなどこにでもいそうな私と?と疑問だった。 完璧の隣には完璧な女の子がふさわしいと思ったから。 釣り合うかどうかとても不安だったし、こんな私が彼の横にいていいのだろうかと何度も思った。


けれど一緒に過ごしてみると彼は全然「完璧」なんかじゃなくって。 料理がすごく苦手だったり(今日ホットケーキが出来てるのは彼の進歩だ)、 親戚の子供を預かった時にはものすごく泣かれたり。 そんな彼の完璧じゃない部分に私は見事に惹かれていった。



そう、私は完璧じゃない「白石蔵ノ介」という一人の人間が好きなのだ。



だからプロポーズの時に「お前が必要やからずっと一緒にいてくれ。」と言われたのは 自分の心の中で思っていていた事とすっかり一致してしまって、すぐさま「はい」と返事した。 彼は一人では生きて行けない一人の人間で、もちろん私もそう。 だからこそお互いに支え合って行きたいと思えたんだ。





「あ、そうやあれ忘れとった」




何かを思い出したようで蔵ノ介は冷蔵庫に何かを取りに行った。 テーブルの上にはバター、メープルシロップと足りないものはなにもないはずだ。

戻って来た彼の手にあったのは綺麗な赤い色をした瓶。 可愛いピンクのチェックのリボンが巻かれてある。 「昨日やっと見つけてん」と得意げな顔の彼に見せられたラベルには「ラズベリージャム」の文字。



驚いて口の前に手を当てた私を見た蔵ノ介は、ものすごく満足そうだった。



いつだったか、結婚前に遠くにデートに出掛けた時 ブランチに入った店でホットケーキとラズベリージャムが出てきたのだ。 初めて食べるおいしさにびっくりして、それからずっと探していたのだけれどなかなか見つからなかった。


結婚してからは「ラズベリージャム」なんて言葉は一言も出さなくなって、 いつの間にか探す事すら忘れ完全に諦めてしまっていたものだ。 それを彼が覚えていていた事実にはひたすら驚愕するしかない。




「本当びっくりした…。」

「もう要らんようになった言われたらどうしようかと思っとったけどな。」

「そんなことない…ありがとう、蔵ノ介。」



私の感謝の言葉に機嫌が良くなったのか、彼は椅子に座ったままの私を後ろからふわりと抱きしめた。 それはただひたすら優しくて、彼が焼いたホットケーキよりもふわふわとしているに違いない。 「はほんまに可愛過ぎや」と囁いた彼に敵うものは他にない。 私がずっと探していたラズベリージャムの魅力ですら彼には勝てないのだ。






「何?」

「めっちゃすき。」

「私も、すきだよ。」




私の右頬に軽く柔らかいものが触れた。それはもちろん蔵ノ介の唇。 彼は「ありがとう」の代わりにこうやって優しく頬に口づけしてくれるんだ。



開けた窓から風が入って来て、大きくカーテンが揺れた。 風はまだ少し冷たいけれど、今日も少し暑くなりそうな気がした。



もうすぐ夏が来る。



そうう思うと少しドキドキして、それは蔵ノ介とのこれからの生活に対するドキドキと少し似ているなぁと心の中で思った。



2011.6.11