卒業式はもうとっくに終わったと言うのに、私は教室から離れられずにいた。 もうみんなとっくに居なくなってしまって、机と椅子しかないがらんとした教室にぽつんといるのは私ひとり。 いつも賑やかだったこの教室には、こんな静寂は似合わなさすぎて少し可笑しかった。
窓際の後ろから三番目、私がこのクラスで最後にくじ引きで引き当てたの席の机の上に座って、 机の上に座ることを咎める先生も周りで笑うクラスメイトももういないのに私はここを離れられない。
外はまだ少し寒いけれど日差しは温かくて、その温かさを受けながら思い出すのはこの一年の事だった。



「やっぱり、ここにいたんだ。」



ガラリ、と教室のドアが開いて聞き慣れた声がしたと思えば、それはやはり精市であった。 とは言っても、卒業式の後はクラスで食事会があるから、もう既にみんなと行ってしまったと思っていたので彼がここにいることに少し驚く。 ちなみに私はもう少しここに居たかったから、みんなに「先に行っておいて」と伝えて置いた。


一人で感傷に浸りたいような、そんな気分がしたから。



「お姫様を迎えに行くのは王子様の仕事だろ、ってみんなに言われてね。」


恥ずかし気もなく笑顔でそういう精市に、逆にこちらが少し照れてしまう。 大体そんなこと言い出すみんなもみんなだと思ったけれど、最後まで変わらないなあなんてふと笑みがこぼれた。 きっとこの後私と精市が一緒に現れたら「王子がちゃんとお姫様を連れて帰ってきたぞ!」なんて茶化すのだろう。 そんなみんながいたクラスだからこそ、私たちはここまでやってくれたのだと思うのだけれど。


「ねえ精市、少し思い出話をしない?」


私の急な提案にも関わらずに精市は「良いね」と言って半分だけ私の机に座り、私の手を取って指を絡めた。 精市曰く、この方がいろいろ思い出せそうだから、と。 私はことごとく精市らしいな、と思いながらその手の温もりと共にこの一年の事を話し始めた。 最後に、どうしてもこの教室の雰囲気を噛み締めながら、この一年の事を思い出していきたかったのだ。






四月はこのクラスのみんなと出会った月でもあり、精市と同じクラスになれた月。 今まで同じクラスになったことのある人が少なかったから、最初はとても心細かったし不安だった。 一緒に卒業するメンバーなんだから、仲良くなれなかったらどうしよう、と。
でもそんな不安はすぐに打ち砕かれたし、なにより最初に隣の席になった精市が話しかけてくれた時から友達の輪が広がって行った。 このクラスは学年でも稀な、全員が仲の良いクラスで、それが誇りだったと先ほど担任の先生が最後の挨拶の中で私たちに教えてくれた。


精市が私に告白してくれたのは、それから数か月後の九月の事だった。 ある日の昼休み、人目に付かないところに呼び出された私は、精市の雰囲気がいつもと違うので少しドキドキしていた。 怒らせるような事をしたかとも思った。
けれどそれは彼が緊張していたからで、「好き」の二文字を貰った時は私もすぐに同じ言葉を返したんだ。 それがクラスメイトの誰かに見られていたようで、一緒に教室に入るとみんなからの拍手で迎えられたのを覚えている。 付き合ってすぐ私たちはクラス公認のカップルになったのだ。


文化祭で「シンデレラ」をやる事になったのは、確か十月の事だったと思う。 役を決める時にすぐに「やっぱりシンデレラと王子はあの二人で決定だよな!」と文化祭実行委員が言い出した事で私はシンデレラをやる事になった。 私なんて小道具か衣装をやろうと思っていたところの急抜擢だったけれど、周りが押すものだからつい断れなかった。 それでも劇は成功したし、みんなも喜んでいたから良かったけれど。
練習では振りだけだったのに、本番で精市が本当にキスをしたのには、みんな度肝を抜かれたみたいだった。 本当は私が一番度肝を抜かれたんだけどね。当時は本当に恥ずかしかったけれど、今となっては笑い話かも知れない。


私と精市が喧嘩をした時にクラス総出で仲直りさせようとしてくれたのは、いつのことだったろう。 今思えば完全に痴話喧嘩だったけど、それでも女の子たちは真剣に私の話を聞いてくれたし、男の子たちは男の子たちで精市の話を聞いていたみたい。 最終的には担任にまで話が回って、先生も仲直りに協力してくれたっけ。



ああ、私は、精市とクラスのみんなが、大好きなんだ。




?」


名前を呼ばれて気付いたのは、私の頬に一筋の涙が流れている事。 卒業式でも泣かなかったのに今涙を流しているのはきっと、今日がみんなとの最後の日なんだって今やっと気付いたから。 今まで泣かなかったのはきっと実感がなかったからなんだろう。なんて鈍いんだろう、私は。 卒業式なんてとっくに終わっているのに、今の今まで気付けなかったなんて。


私の涙を見た精市は、握っていた手をより一層強く握った。 その力は強いのだけれど優しさも含まれていて、彼と言う人間の優しさが表れているようだった。 私の好きな人で私を好いてくれる人は、こんなにも優しい人なんだ。



「私、ここを離れたくないな。」



口から出た言葉は心からの本音だった。 こんな事を言った所で賑やかなこのクラスが戻ってくる訳もないし、一年前に戻れる訳もないのに。 でもそれ程このクラスが好きなんだ。精市がいて、みんながいるこのクラスが、好きすぎて、仕方ないんだ。 またみんなと、精市と、同じ一年を過ごせたらどれだけ楽しくてどれだけ嬉しいだろう。


そんな私を見て、精市はこう言った。


、言い古された言葉かも知れないけど『卒業は終わりじゃなくて始まり』なんだよ。明日からみんな違う道に進むけれど、みんなとはずっと友達だし、それに…俺とだって終わりな訳じゃないだろう?」


精市はまたも優しく、宥めるように落ち着いた声で私に話しかける。 彼の言葉は私の体の隅々に染み渡るようで、私をここから離さない「何か」をゆっくりと溶かしていくようだった。 精市の言葉によってその「何か」が完全に溶かされた時、私の口から自然に出てきたのはさっきと真逆の、自分でも驚くような、前向きな言葉だった。


「そうだね…私たちもそろそろ『行かなきゃ』ね。」


私がそう言うと精市はすっかり乾いた涙の跡のある私の頬に口づけた。 その柔らかい口づけはまるで彼が「俺の言いたい事を分かってくれてありがとう」と言うようだった。 それに応えるように私も彼の頬に軽く口づけを返す。 その後に目が合ってしまって、思わず二人で笑い合ってしまった。



「精市、『行こう』」



机から降り、スカートを軽く整えてから私は精市に言う。 どんな物語にも終わりはあるけれど、私たちはここで立ち止まっている訳にもいかず、進むしかないのだから。 逆に言えばこの卒業は私たちの「終わり」ではないと言う事。そう、ただの節目に過ぎない。 小説で例えれば、今まで読んでいた章を読み終えて新しい章を始めるところなのだろう。



「さあ、お手をどうぞ。」



王子様のように手を差し出しだ精市と手を繋ぎ直し、私たち二人は一緒に教室から出た。 物語の新しい一ページを一緒にめくる様に。







2012.3.20

「Astrogation」の晶子さんへ、相互リンク記念として書かせて頂きました。
リクエスト内容が卒業という事で、こんな感じになりましたが(笑)
気に入っていただけたら嬉しいです。
晶子さん、これからもよろしくお願いいたします!