立海テニス部の夏合宿は毎年恒例で、今年も例に漏れる事なく県内の山奥にある合宿所に部員たちが集っていた。 当然私もマネージャーとして選手たちをサポートするために合宿所で寝泊まりをしている。 マネージャーは私一人ではないし、一年生は来ていないからいつもより人数は少ない。 しかし、合宿という事でみんな気合は入っているし、食事の準備や洗濯などいつもしていないことも追加されるので 選手には劣るがマネージャー業も大変だ。 そんな時に限って、大変な事は重なる。 夕食の準備をしている時に材料が足りない事に気付き、顧問に相談しようと思ったのにも関わらず顧問はいない。 そう言えば今日は用事があって夜まで帰らないと言っていたのだ。 一番近くのスーパーまでは歩いて片道40分か50分程かかるものの、顧問を待っている訳にもいかず、 後輩に行かせるのも悪いので三年生である私が行くことにした。 その事を部長の幸村に伝えると「じゃあ仁王も連れて行きなよ。 あそこで暇そうにしてるだろ?二人の方が荷物の分担が出来るだろうし。」と言われ、仁王も一緒に行くこととなった。 あの幸村の笑顔の前では断ることは出来ないのだろう。 二人で合宿所を出て二人で歩き出すものの、夏の日差しはじりじりと熱い。 セミの鳴き声がその暑さを更に強調しているようだった。 山奥だからコンクリートの照り返しや都市部独特の暑さはなくて、 周りが田んぼで水が張ってあるのが少しの救いだった。 「そう言えば、仁王暑いの苦手って言ってなかった?」 「そうじゃな。すぐ日焼けして肌が赤くなりよる。」 「仁王肌白いもんねー。私なんかすぐに真っ黒になるよ。」 そうこうしていると目的地は思ったよりも歩く事無くスーパーに着いて、すぐに野菜やドリンクなど必要なものを買うことが出来た。 暑い中を歩いてきたのでスーパーの冷房は極楽で、また暑い中を歩いて帰るのかと思うと歩き始めるのが少し気が引けた。 それでも歩いて帰らないわけにはいかないので、また暑い暑いと言いながらも合宿所への道のりを辿る。 「なんか、雲行き怪しくない?」 「ほんまじゃな。」 お互いにビニール袋を一つずつ持って合宿所へと帰る途中、どうも空の色が薄暗くなってきた事に気が付いた。 見る見るうちに真っ青だった空は鉛色へと変わっていき、セミが鳴く音が止んだ。 これは一雨来る、と思った瞬間に雨が降り出したのだ。 取りあえず雨がしのげそうな屋根付きのバス停があったので、仁王と一緒にそこで雨が止むまで待つことにした。 時刻表を見てみるとバスは1時間か2時間に一回しか来ないようだった。 ざあざあと音を立てて降り続く雨は、ひたすら止むのを待つことしか出来ない。 きっと通り雨だろうからすぐ止むだろうとは思うのだけれど。 「仁王、そこのベンチに荷物置きなよ、って、あ。」 「どうしたんじゃ?」 「いや、そう言えば仁王って左利きだったなあと思って。」 仁王がビニール袋を左手に持っていて、そう言えば仁王は左利きだったなと改めて思い出す。 確か、レギュラーの中では唯一の左利きだったはずだ。 特にスポーツをする上では利き手がどちらかというのは重要である。野球なんかが良い例だ。 勿論、テニスもだけれども。 普段右利きの選手とばかり対戦していれば、左利きの選手と当たった時にはやりにくいだろう。 「別にそんな特別なもんでもないぜよ。」 「そうかなあ?左利きの人って少ないから、なんか特別な感じがする。」 日常生活の中で使っている物はほとんど右利き用に設計されているという。 例えば、駅の自動改札機やハサミだってそう。 左利きの人に言わせれば不便なんだろうけれど、それでも私は少し良いなと思う。 みんなと違うものはなぜか少し格好良く感じる。私は他の人と違う、特別なものに惹かれるのだ。 「髪の毛の色だってさ、口元のほくろだって良いなって思うよ。仁王は人とは違うものをいっぱい持ってるね。」 私がそう言うと仁王は少し気恥ずかしそうに苦笑した。 でも、仁王が特別なものをたくさん持っているのは本当なのだ。 左利き、銀色の髪の毛、口元のほくろ。髪色だって、その髪型だって仁王じゃなかったら似合っていないと思う。 それだけじゃない、その声も、性格も仁王にしかない特別なものなのだ。 でも、多分私がそう思っているのは、 「仁王が好きだから、なのかもね…。」 口元から零れた言葉に対して、仁王は何も言わなかった。 きっと雨音に掻き消されて何も聞こえなかったのだろう。 自分でもかろうじて聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで言ったのだから。 聞こえなかったほうが、私に取っては良かったから丁度良かったのだけど。 そのうち雨は止み、また合宿所へと歩き出さないといけなくなった。 またセミが鳴き始めて、先ほどの雲はどこにいったのかと思う程青い空へと成り変わっていた。 唯一、地面が濡れている事だけが先ほどの雨の名残を残している。 二人で腰かけていたベンチから立ち上がり歩き出そうとした時、私の右手が仁王の左手にしっかりと掴まれた。 「ちょっと待ちんしゃい。」 急に手を掴まれたので驚いて少しバランスを崩した。 それを立て直して仁王の方を向くと、いつもの飄々とした表情からは想像できない真剣な顔をしていた。 その上、少し雨に濡れた髪をした仁王が妙に艶っぽい。 そのせいだろう。私の心臓がドキリ、と鳴ったのは。 「俺はどうも地獄耳らしくての、雨音の中でも大事な事は聞き取れるみたいじゃ。 でもはそうじゃないじゃろうから、雨が止むまで待っとったんじゃけど。」 心臓がドキリドキリと鳴り続けてうるさい。 どんどん早鐘を打って、どんどん私の中でその音が大きくなっていく。 仁王は私の手を引いて自分の方へと近づけ、握っていない方の手で私の頭を撫でて、手を頭に置いたままこう言った。 「俺からしたらも特別なもんをいっぱい持っとるよ。 …そう思うのはお前さんの事が好きだからなんじゃろうけど。」 聞こえていないと思っていたのに仁王の耳に私の言葉ははっきりと届いていたみたいで、瞬間に顔が真っ赤になる。 もしかしたら、その時は聞こえていないふりをしていたのかも知れない。だって仁王は詐欺師だから。 ずるい男で、詐欺師だから。 仁王また私の頭を撫でて、右手でビニール袋を持ち直し「まだ雨が止んでなかったらもうちょっと一緒に居られたのにのう。」と残念そうに言いながら歩き始めた。 私の利き手である右手は、仁王の利き手である左手に握られている。 もうきっと仁王はこの手を離す気はないのだろう。私だって、一度手にしたものを、仁王の手をそうそう離す気はない。 「、好いとうよ。」 帰り際に仁王が言った言葉は、雨音に邪魔されない今、私にちゃんと伝えるために言ってくれた言葉に違いない。 2012.4.24 企画サイト「私の彼は左きき!2012」様に提出 テーマ:雨宿り |