都内にあるごく普通なマンション。一人暮らしには大きすぎるが、家族で暮らすには少し小さい。
そのマンションの3階の一室。表札にはこう書いてある。

阿部隆也
  

これを見た人は恐らく殆どの人が夫婦2人で住んでいると思うだろう。
しかし実際は違う。俺もも社会人としてこのマンションに住んでいる。

2人共、勤め先、が都内だから。別々に住むより安くなるとか、そういった理由もある。
けど、俺とは世間一般の兄妹より仲が良い――
だから一緒に住んでられるんだ。
普通に考えたらこの年頃の兄妹が一緒に住むなんてあり得ないだろう?


だけど俺らは「普通」じゃないんだ。
その秘密―秘密って言うのも大袈裟だが―を知っているのは俺の両親と俺だけ。
シュンも知らない。勿論、も知らない。

そして、一生言うつもりはない。言ってしまえば何かが壊れてしまう気がしたし、言う必要もないから。
俺の中にある、へのこの思いも、だ。



「ただいま」
「あ、お兄ちゃん。お帰り…」

いつもはバラバラの生活を送っている俺たちだが、たまに顔を合わせる時は大抵が先に家に帰っている。今日もそうだ。
そして先に帰っている時はいつも飯を作って待っていてくれる。
仕事で疲れていて料理も得意でない俺にとって、とてもありがたいことだった。

だが、今日はなんかの顔色が悪い。


「どうしたんだ?顔色悪いぞ」
「ちょっと吐き気がするの…目眩もするし…」

そう言うの顔色はますます悪くなっていく。顔は真っ青で見るからに辛そうだ。

「じゃあもう早く寝ろ、な?」
「うん…そうする…」

ピリリリリリ

が部屋に行こうとするとテーブルの上のケータイが鳴った。
その音を発したのは俺のじゃない、のだった。


「お前体調悪いんだったら無理して出るな…」
「大丈夫、友達だし…」

…今のは我ながら少し過保護かと思った。
もガキじゃねんだから、それくらいの判断は出来んだろ…。

「もしもし…あ、うん。わかった。…うん、ちょっと体調悪くて
 …心配しないで。少し目眩と吐き気がするだけだから。え?…妊娠?」

……妊娠?今コイツ、そう言ったか?
俺は自分の耳を疑ったがコイツは確かにそう言った。
その途端視界がぐるぐると回り始めて心臓の鼓動が一気に早くなるのを感じた。



「嘘…!あ、でも1ヵ月以上来てない…
 …うん、わかった…じゃあね、ありがと…」


がケータイを閉じると同時に俺はに詰め寄っていた。

「お前…!妊娠ってどういうことだよ…!」
「え、いやあのね…友達に吐き気と目眩がするって言ったら
 『もしかしてつわりじゃない?妊娠したの?』…って」

俺は感情を押さえるのに必死だった。
が、どっかの野郎と…?
考えたくない。コイツだって社会人なんだし、普通なんだろうけど…

あぁ、俺もいい加減コイツから離れなくちゃ。
兄妹っていう特権は、いつまでも使っていられないんだ。


「でも!まだ本当にわかんないし…
 でも、もしそうだったら…どうしよう…」

はかなり不安そうだ。

でもな、。
俺も不安なんだよ。



「相手の奴はどんな奴なんだ?」
「え…っとね、見た目はちょっと派手かも知れないけど、優しい人だよ」

そいつの話をするはすごく優しい目をしていて。
兄ではさせてやれない表情だった。
やっぱり、俺は「兄」なんだ。
きっとと俺に血の繋がりがないと知っても、「男」としては見ないだろう。
ずっと一緒に兄妹として過ごしてきたんだから。

愛しい人がこんなに近くにいるのに、抱きしめることさえ出来ないなんて。

「…ちゃん、お兄ちゃん!」

に呼ばれてふと我に返った。

「悪い、考え事してた」
「そう?…じゃあ、おやすみ」

俺もおやすみの挨拶を返した。
いつも通り言ったつもりだけど、ちゃんと言えていただろうか。
声は震えていなかっただろうか。

この言葉もあと何回言えることだろう。

…考えるな、そんな事。

あと何回、と食事を共に出来るだろう。

…考えるな。

あと何回、に触れることが出来るだろう。

考えるな!!



…疲れてるんだな、そう思った。
さっさとシャワーを浴びて、寝たい。
俺の中にある、この黒く渦巻いた感情も、シャワーの水のように流れて欲しかった。











あとがき
柄にもなくシリアスです。
うわぁ…自分で言うのもなんですがかなり暗いですね…
後編に続きます。

2009.1.6

2011.5.2 加筆修正